「ゾミア」と聞いて何のことだかわかる人はほとんどいないだろう。ゾミアとは、ベトナム中央高原からインドの東北部にかけて広がり、ベトナム、カンボジア、ラオス、タイ、ビルマと中国の南部四省を含む広大な丘陵地帯を指す。平面図で描かれる国境ではなく、標高を基準にした「垂直の」空間分類である。
この空間には、その標高に応じてリスやアカ、カレンといった多種多様な山地民が生活してきたが、彼らの多くは文字をもたないことや定住農業を営まないために、しばしば「原始的」のレッテルを貼られて、平地の文明から立ち遅れた存在として扱われることが多かった。しかし、本書でJ.スコットは、山の民が文字もたないこと、焼畑移動耕作を営むことなど、かつての「野蛮さ」の象徴は、実は平地国家による徴税や徴兵をかわす見事な戦略になっていると主張した。彼らの生活は平地文明と表裏一体をなしながら独自の進化をとげてきたというのである。狩猟採集民が地中に根菜類を植えて主食とするのも、地表の穀物は収奪の対象になりやすいからだ。国家をかわすだけではない。山の民は、必要に応じて平地国家と交易関係を結び、国家との間に適度な距離を調節してきた。
スコットの主張は挑発的でラディカルだが、平地で書き残された「歴史」に頼り切ってきた私たちを立ち止まらせて、考えさせる。国家の統治から逃れることで出来上がった社会は、東南アジア以外でも世界のあちこちに存在する。日本にも、かつては政治の圏外から山に逃れる人々がいた。山の民の多くは、もともとは平地から逃れていった人々であった。
私たちにとって今や自然の存在となった「国家」とは、いかにして作られているのか。口承伝統にもとづき家系すらしたたかに作り変えてしまう山の民の戦略を知ることも面白いが、国家の言説に頼らない「逆転の世界史」を描きだす方法論としても、本書を楽しんでいただけるのではないかと思う。
訳者を代表して 佐藤仁