「開発とは何か」。これは、私が学部の学生だった頃に抱いた最初の学問的な問いでした。この20年間、様々な角度からこの問いに答えようとしてきました。本書は、この問いをめぐる私自身の思考の軌跡をたどったものです。
かつて「野蛮」と呼ばれた国や地域は、戦後に「発展途上」と呼ばれるようになり、その「開発」のために、先進国は様々な働きかけをしてきました。しかし、近年、AIIB(アジアインフラ投資銀行)をめぐる論争に象徴されるような、中国をはじめとするかつての援助受け入れ国のドナー化や先進諸国で生じるテロや貧困、グローバル化する難民問題、そして先進国/途上国の区別なく襲いかかる自然災害と気候変動は、南/北、途上国/先進国といった従来型の境界線をますます無効化しています。
代わりに私たちの眼前に浮上してきたのは、かつての二項対立的な枠組みを超えたところに横たわる「生存」という共通課題です。様々な次元で世界の相互依存が深まっている現在、一つの地域の生存は、他の地域に影響を与えないわけにはいきません。そうした新しい文脈で、開発や援助が何を意味するのかを考えるには、現象の今を追いかけるのではなく、考え方のルーツを歴史的にさかのぼることが有効ではないでしょうか。
その意味で日本の開発・援助史は、とても示唆に富んでいます。日本は独自の国内問題を抱えながらも、西欧の外で初めて近代化を成功させ、援助の受け手から援助の送り手へと役割を大きく転換させた世界でも数少ない国です。その日本から開発と援助の在り方を問うことには、単に日本の個別事情を超えた文明論的な意味があると思えてなりません。
戦後の日本が追い求めた「開発」とは何だったのか。なぜ日本は貧しかった1950年代に援助に乗り出したのか。途上国の実態、援助の実態を知らせようとする類書とは異なり、本書は、世界の課題に関与する作法をどのようにくみ上げていくかという方法に焦点を置いています。そして何よりも、開発を学ぶことの面白さを前面に出してみました。
ぜひご批判いただければと思います。