大学院時代にタイの奥地でフィールドワークをしているときに、先進諸国や後発諸国の都市部では明らかに「良いこと」とされる熱帯林保護政策が、地元住民を苦しめている様子を目撃しました。国家による森林の囲い込みによって、農民の生活範囲と使える資源が大きく制約されていたのです。それでも森林減少は止まらず、政府の森林局がますます強大化していることも不思議に思えました。本書は20年以上前に抱いたモヤモヤ感を、長い時間を経てようやく言葉にしてみたものです。
後発諸国は立派な環境保護の制度をもっているのに、なぜ実効性が伴わないのか。国家による環境政策は、(環境そのものではなく)人間社会に何をもたらしているのか。環境にやさしいはずの政策が、いつしか反転して地域住民を苦しめることがあるのはなぜなのか。これらの問いに、インドネシアの灌漑用水、タイの共有林、カンボジアの漁業資源など、現場の事例から答えていきます。権限の集中化した開発国家が環境政策を強く打ち出すようになる過程に問題があるというのが本書の見立てです。
本書では、現状分析にとどまらず、「どうすればよいかのか」という政策論にも積極的に踏み込みます。とくに終戦後から高度経済成長に至る過程で生み出された日本産のアイディア―公害原論、文明の生態史観、資源論―に注目して、「反転」を食い止めるためのヒントを探ります。
本書は、私にとって資源論(『持たざる国の資源論』(東京大学出版会、2011年)、開発論(『野蛮から生存の開発論』(ミネルヴァ書房、2016年)に続く「環境論」の総括になります。いわゆる「環境本」に飽きた方、いま流行りのSDGsはどこか違うな、と思っておられる皆様に、ぜひ本書を手にとっていただければと思います。 なお、本書は平成31年(令和元年)度科学研究費補助金研究成果公開促進費(学術図書)の支援を受けて出版されていることを、ここに謝して記します。
新世代アジア研究部門 佐藤仁