なぜ「追体験」とは言うのに「追経験」とは言わないのか?
2021年3月5日 経験と知識、宗教と相互扶助の問題についてあれこれと議論しました。宗教における進化論的な発想の導入と、信用の問題が特に興味深かったです。
Institute for Advanced Studies on Asia, University of Tokyo
漁人は水に生き、木樵は山に生きますが、ある日偶然に出会って会話すると、多くの共通点があることに気が付きました。別の世界から来た二人の対話は、未来に向けて、どのような気づきをもたらしていくのでしょうか。
このページは、私、佐藤と東洋文化研究所の馬場紀寿さん(インド古代仏教)が分野や対象、時代を超えて、そのときに語りたいことを語る放談をメモとして記録しています。2-3か月に一度の割合で、主に互いのゼミ生を対象に開催してます。佐藤が過去に用いたスライドは公開しております。
なぜ「追体験」とは言うのに「追経験」とは言わないのか?
2021年3月5日 経験と知識、宗教と相互扶助の問題についてあれこれと議論しました。宗教における進化論的な発想の導入と、信用の問題が特に興味深かったです。
モノに問う
2021年6月22日 第2回「無用の用・談」がオンラインにて開催されました。今回は佐藤先生から「「モノ」に問う」というテーマで話題提供をしていただきました。エアコンの工事で感じた「モノ」によって規定されるという事の意味、中国語のタイプライターの不可能神話の一人歩き、ひいてはM.Cハマーのダンスと一見何の脈絡もない、正に「無用の用・談」を体現するようなお話を頂きました。馬場先生からはヒトを支配する「規格」が特定の場所から生まれているという話をアケメネス朝ペルシアとサンスクリット文法学を事例にして頂きました。「規格」という共通のテーマが時空も、ディシプリンも越えた話題からつながっていく、これぞ無用の用の醍醐味ではないでしょうか。