冷戦中のアジア各地では、いわゆる独裁政権が数多く誕生し、それらの多くは「開発」という側面では高く評価された。インドネシアのスハルト、シンガポールのリークアンユー、フィリピンのマルコスらは、中国の毛沢東、タイのプレームらはその代表である。
一方で、これら独裁政権の一部は、開発や民主主義、自由などを謳うと同時に、自国民に対する残虐な暴力と弾圧を行ったことでも知られる。ポルポトは200万人以上、スハルトも100万人以上の虐殺を主導したことが明らかになっている。国民をどん底に陥れたカンボジアのポルポトも、米国や中国の支援を受けていたことを忘れてはならない。
大衆の福祉を促進する開発と、その対極にある暴力や虐殺とは、これら指導者の「言葉」の中でどのように共存しえたのか。そこで本研究は、時代を振り回してきた権力側の“Double Speak”に着目し、開発の眩しさの演出と、それが見えなくしている暴力の側面を、中国、インドネシア、タイの参加国、および、そこに支援をしていた日本と米国の政策言説を素材に、「言っていることとやっていること」のギャップを体系的に考察する。